浩宮徳仁親王の皇太子着位もまた、父明仁天皇即位と「同時」1989年1月7日午前6時33分ですから、28歳での立太子、まだ常識的な年齢でした。
超高齢化は、決して国民だけのことではなく、日本国の象徴を巡る状況としても、極めてリアルな問題になっている。
生物学者で慎重な明仁天皇が、どうして2019年に皇位を譲らねばならないと決意していたか、その傍証の一つを最後に記しておきましょう。
1933年12月23日生まれの明仁天皇は2019年4月30日、85歳をもって天皇の位を退いておく方が、客観的に考えて、象徴としての公務、国事行事を安全に執り行える可能性、期待値が高い、「evidence-based」の合理的な思考に裏づけられています。
というのも、父、昭和天皇は86歳の誕生日、午餐の席で、公務の最中に倒れてしまっているのですから・・・。
魚類学者として合理的な思考を持つ明仁天皇は、それと同じことは繰り返すまい、でも遺伝的に考えれば、リスクは同じようにやって来ても不思議ではない。大事をとるにしかず、と心に決めておられたはずです。
人に歴史、物事には背景があることを、痛感させられます。
(つづく)