「退位」から考える高齢化社会

 20世紀後半、1988年時点での技術水準と比較するとき、今日の延命治療は比較にならないほど高度かつ有効なものになっています。

 55歳という、史料に照らして歴代2位という高齢で即位した明仁天皇は2016年7月13日、82歳の時点で「生前退位」の「お気持ち」を発表し、3年後の2019年に浩宮徳仁皇太子へ譲位の意志を明らかにしました。

 この2016年の時点で、皇太子は56歳、つまり明仁天皇の即位時よりも年長になっていました。3年後に即位すれば満59歳、かつての日本人の常識から考えると、数えの「還暦」で即位することになります。

 これは奈良時代の770(神護景雲)4年10月1日、62歳で即位した光仁天皇(709-782)の記録に次ぐ歴代2位の高齢で、第3位に明仁天皇が続くという、まさに超高齢化のラインナップになっている。

 光仁天皇の即位により、元号は宝亀と改められました。

 ちなみに光仁天皇の息子が、平城京を平安京に移した桓武天皇で、この代替わりは天応元(781)年4月3日、病気を理由に「生前退位」で譲られており、光仁天皇は同年12月23日(西暦782年1月11日)に崩御。

 少なくとも昭和→平成の代替わりより、はるかに人間的な天皇の譲位が1200年以上昔の奈良時代には高齢の天皇に対して配慮されていたことが分かります。

 「天皇終身制」とは、極めて近代的な政治の産物であることを如実に感じさせるケースと思います。

 最高齢の光仁天皇の後を継いだ桓武天皇(737-806)が即位したのも44歳と、奈良時代当時としては十分に高齢です。

 同時に今回アサインされる秋篠宮文仁親王の54歳での皇嗣着位も、特筆すべき年齢の高さであることに注意しておくべきでしょう。