「天皇生前退位」の可能性は、実は平成になる以前、昭和末期から、慎重に入念に、一分の隙もないように検討され、熟慮されてきたものであると、私たち日本人は意識するべきだと思います。

 昭和64年1月7日、関係者は未明に呼び出され、御座所の天皇の床を長男である明仁皇太子、美智子妃、次男である常陸宮夫妻と、当時の内閣総理大臣、竹下登氏が囲みました。

 長い夜明け前の時間、息を詰めていたことでしょう。

 午前6時33分、心電図のモニターが平坦になりました。

 この瞬間「天皇終身制」の重荷から、裕仁天皇が解放され、昭和という時代が終わった。

 この時点で、明仁天皇夫妻の胸中には、これを繰り返してはいけない、という決意が固まっていたのは、疑うべき余地もありません。

 そして、この6時33分をもって、明仁皇太子は天皇に「即位」します。

 目の前で父親の死をスタッフ一同とともに直視し、かつその死亡を確認した瞬間に「天皇」となる・・・即位大礼などの儀式がそれを担保するのではなく、皇室典範という法の条文が指定している。

第四条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。

 とは、こういう現実を意味しているわけです。

 21世紀の観点で、これが人間的な、また賢慮ある状況だと言えるでしょうか?

 その瞬間に「天皇・皇后」となった明仁・美智子夫妻の胸中、脳裏には、同時にありとあらゆる可能性の検討が始まらざるを得なかったはずです。