「天皇終身制」とは、天皇は死ぬまで働き続けなければならない、という事実を語っています。

 20世紀後半、高度な延命治療が浸透した結果、人はそう簡単に死ねなくなってしまった。

 それが「健康寿命」72~75歳と物理的な寿命82~87歳の間のギャップ、つまり「不健康余命」の問題を、突きつけている。

 世界一の長寿国かつ少子高齢化がもっとも重篤な国である日本で、天皇が率先して自ら職務を退き、まだしっかりした状態で後任者に引き次ぎ、勇退の前後で国事行事への支障がミニマムになるよう振る舞われたことは、幾重にも讃嘆すべき、賢慮の賜物と評価しないわけにはいきません。

 その反例、つまり高度延命治療と「終身制」のはざまでどうにもならなくなったケーススタディとして、昭和天皇の最晩年を振り返ってみましょう。

昭和天皇のケーススタディ

 1987年4月29日、満86歳を迎えた昭和天皇は、お誕生日を祝う午餐会に出席していました。そして、そのランチの最中に嘔吐してしまいます。

 侍医たちは、体調の変化に気づいていました。毎月数百グラムずつ減る体重、誕生日の直前には便に潜血が確認されてもいました。

 天皇には人権がありませんから、ありとあらゆるデータが、本人も知らないまま、すべてチェックされコントロールされている。

 毎日飲むお茶の時間と量などまで決められており、結果は毛筆で記録されて陛下に提出・・・すごい管理です。これだけでも、普通の人ならストレスでどうかなってしまうでしょう(少なくとも私のような神経の人間には、到底無理です)。

 夏7月、那須の御用邸での静養中には、散歩の途中で1リットルを超える嘔吐とともに倒れ、開腹手術で十二指腸の狭窄部を切除。

 宮内庁病院に15日間入院しての手術は成功しますが、その後24時間体制での看護が続き、昭和天皇はそのような体調の中でも国事行事、公務を一貫して継続しました。