一 憲法9条2項の光と影
よく引き合いに出される話がある。
昭和21年、議会において共産党の野坂参三が「侵略に対する自衛戦争は正義の戦争であり、すべての戦争を放棄する必要はない」と軍備保有の妥当を訴えた。
これに答えて吉田茂首相が、「日本が戦争放棄を宣言して世界の信を得つつあるとき、自衛権を論ずることは無益である。憲法は一切の軍備と交戦権を認めない」との発言を行った。
今に至る「憲法9条2項」論争の始まりである。
国際社会に日本の復帰を認めてもらうためにあえてこのような発言を行った吉田の思いは、「日本、平和国家」というイメージとともに、現在、多くの国の賛同を得て認められた「国際平和のための海外派遣」という形となって実を結ぼうとしている。
平成27年、集団的自衛権行使の容認を受けて平和安全法制が成立した。
これは、自衛隊を海外に派遣して「PKO活動関係者の生命及び身体の保護(駆け付け警護)」などにより、ことあれば身をもって他国の人たちを守るという、国際社会に対し日本が果たすべき約束を表明したものである。
しかし、平和安全法制により与えられた任務に立ち向かう自衛隊は、これまでとは次元の異なる困難な場面に遭遇する。
守るべき者は邦人のみならず、外国の軍人、市民などもその対象となり、戦う相手は正規兵に近い者もいれば、敵味方の判別が難しい武装民、テロリストなど様々である。
しかも、いつ、どこで襲われるかは分からない。このような状況の中、指揮官は決心し、隊員は行動し、ある時は自ら負傷し、またある時は相手を殺傷するわけである。
そのとき、指揮官、隊員を裁くのは、外国の場合は軍事法廷で軍刑法により正当に裁かれるが、それらを一切有していないわが国においては、自衛官が一般法廷で一般刑法による「殺人罪」に問われるわけである。
戦う組織として各国軍隊と共通する法体系に裏打ちされていない活動は、任務遂行にあたる自衛隊員に優秀な装備でも補い得ない様々な負担をもたらすこととなる。