大きな前進は客観性のある指導

 一方、「データ野球」が現代にもたらした大きなメリットを「感性のみによる指導を受ける機会が減ったこと」に挙げる。

「野球のプレーでは確かに感性は大事だし、選手と指導者の感性が噛み合えば素晴らしい成果を期待できる。ただ往々にしてあることなのですが、噛み合わなかったら・・・選手にとって自分に合わない感性を押し付けられるほど理不尽に感じることはありません。しかし、きちんとデータに裏付けられた指導が行われれば、そんな理不尽さも減っていくと思います」

 指導する側の知識や経験に基づく指導はあってしかるべきだ。しかし、その方法、感覚がすべての選手に当てはまるわけではない。納得できない、と感じることもあるだろう。そんなとき、「データ」という客観的なものが存在することで、選手の理解や関心は大きく変わってくる。

 より具体的な目標設定が可能になることで、指導方法も選手の信頼度やモチベーションも大きく変わってくる可能性があるわけだ。

 さて、それではこの膨大な「データ」の出現により、野球はこれからどう変わっていくのだろうか? 斎藤さんは申し訳ない顔をして言った。

「データ野球の完成形が何なのか、まだハッキリと私にはわかりません。野球とデータは切っても切り離せない関係なので、そもそもデータ野球に完成形があるかどうかも定かではありませんし・・・。ただ一つだけ確かだと思うことは、データよりも先に人・・・つまり選手が存在すべきだということです。あくまでデータは選手がより成長するため、チームがより魅力的で強くなるためのもの。データありきで進めていくと、先ほども説明したように、最終的に野球が魅力を失ってしまうでしょう。データは野球をより面白くするものです。指導としても役立つでしょう。私もこれからもっとも研究し、学んでいきたいテーマです。メジャーでどう活用されているか、もっともっと聞いていきたい。でもデータのための野球には未来がない。現在の私はそう信じています」