そもそも転居して数年ぐらいで、田舎暮らしの是非など判断できないはずだ。その後、どうなったのか。テレビ局には、その後も追い続けてほしいものだ。
「村八分」を言い渡す自治会
大分県宇佐市出身の男性は、母親の介護ためにUターン帰郷し、14戸の自治区に加入し、地域の行事への参加、市報の配布なども受けていた。ところが5年前の3月頃、農家向けの補助金に関する会議に呼ばれなかった理由を質問すると、区長が「口出しする権利はない」と激昂したという。そして、この男性が欠席した翌4月の集まりで、「自治区の構成員と認めず、今後は行事の連絡をせず、参加もさせない。市報も配布しない」という内容の決議をしたというのだ。この男性は「総毛立つような恐怖心を抱いた」というが、当然のことだろう。
また、昨年(2017年)11月23日号の『週刊新潮』は、「移住天国の夢想家が落ちる『村八分』地獄」というタイトルで山梨県北杜市の事例を報じている。自治会に入らないとゴミ置き場すら使えず、車で数キロ先のゴミステーションまで運ぶというのだ。こんなことがいまだに罷り通っているのも、田舎の現実なのだ。
もちろん自治会の側にも言い分があるだろう。田舎の自治会には、それなりの歴史もあり、人の繋がりもある。さまざまな行事などもある。この中に入っていくのは、簡単なことではない。
昨年、母と兄の法事があり、久しぶりに帰郷した。午前中、最寄り駅からタクシーで生家に向かったのだが、途中で村人20人程が道路際や石垣の草刈りをしていた。私の郷里は柏原という村落だが、いくつかの班に区分されている。そのうちの1つだろうと思いながら通り過ぎた。法事も終わり、夕方、姪に車で駅まで送ってもらったのだが、草刈りをしていた人たちは、なんとまだ作業を続けていた。
こういうことに全部付き合わなければ、村や班の一員として認められないのだ。これが田舎なのだ。余程の覚悟がないと無理である。
「田舎暮らしは慎重に。」