「秋味(あきあじ)」は「鮭」の異名だ。この季節になると、鮭が産卵のために故郷の川を上っていく。特に東北や北海道では鮭漁が盛んで、毎年、人びとは秋味がやってくるのを待っていた。
母鮭が腹の中に抱えている卵も旬となる。卵巣に入ったままの卵を「筋子(すじこ)」、より成熟した卵粒を一粒ずつほぐしたものを「イクラ」という。
口の中で卵が次々と弾けていき、やがて塩味が広がっていく。食感と風味を兼ね備えたこの自然の恵みを愛してやまない人も多いことだろう。
一方で、私たち日本人が鮭の卵をどう食べてきたのかは、あまり知られてはいない。旬のこの時期、日本人のこれら食材への関わりかたを探ってみたい。前篇では、日本における筋子やイクラを巡る食の歴史を追っていく。そして後篇では、イクラの品質向上に使われる現代の技術「通電加熱」に迫りたい。
「イクラ」は元はロシア語、江戸時代は「はららご」
「イクラ」は、元は日本語ではなくロシア語だ。ロシアでは「魚の卵」をイクラ(ikra)と呼ぶ。言葉の由来から、イクラがロシアの食文化の影響を受けたものであることがうかがえる。
だが、東北地方以北では、少なくとも2000年前から人々は鮭漁を営んできた。母鮭が腹に抱える卵を食べても不思議ではない。実際、いくつかの古い文献に記録が残っている。
まず、平安時代中期、律令の細則が記された『延喜式』には「内子鮭(こごもりのさけ)」の記述がある。産卵前の卵を持った鮭のこととされるが、どのようにこの鮭が加工されたのかは分かっていない。