カリスマ経営者の心理

 国家を支配する独裁者、巨大企業を一人で立ち上げたカリスマ経営者は、プラトンやデカルトの言説を、自分の振る舞いを正当化する理論として、無意識のうちに採用している可能性がある。自分は優れているのだから、支配者として君臨して当然なのだ、むしろ君臨すべきなのだ、と。

 しかし独裁者やカリスマ経営者は、しばしば後継者の育成に失敗する。自分を超える存在が登場しそうになると、意識してか無意識かは別として、潰しにかかる。部下が業績を上げてもアラ探しをし、失敗をなじって、失脚させる。そして、自分のいじめのせいで後継者が育たないのが原因にもかかわらず、「そのいじめさえ克服してこそ後継者だ、俺だったら克服してみせるのだから。部下たちの方がだらしないのだ」と、後継者が育たないことをむしろ、自分が際立った才能であることの証明としたくなる心理が生まれる。

 こうした独裁が厄介なのは、結果的にイエスマンばかりが生き残ることだ。これはやむをえない。イエスマンが生き残りやすい環境を整えたからそうなっただけのことだ。イエスマンは、トップの顔色を窺い、忖度する能力は高いが、自分の頭で考え、行動する勇気を持たない。だから独裁者やカリスマ経営者がいなくなってしまうと、収拾がつかなくなって大混乱になる。

 独裁者やカリスマ経営者の問題は、その人が生きている時ではなく、いなくなったときに現れる。だから、独裁者やカリスマ経営者は、自分の失敗を自覚する前に死んでしまうという厄介な問題が存在する。だって、自分が死んでしまってから混乱しても、分からないのだから。

 こうした、自覚症状がほとんど現れない、組織のトップが罹患しやすい症状を、私は「リュクールゴスの亡霊」と呼んでいる。プラトン、デカルトという、トップに立った人間を酔わせる理論を提供した哲学・思想が、知らず知らずのうちに現代のビジネスマンの常識として染みわたり、誰もが「リュクールゴスの亡霊」に取りつかれる恐れがある。取りつかれたときに示す典型的な症状は、「自分ほど優れた人間はめったにいない」「自分は優れた人間だから組織に君臨して当然」という思考を示すことだ。

 もし自分が「リュクールゴスの亡霊」に取りつかれているかどうかを確認したいなら、「自分がいなくても会社がうまく回るかどうか」がリトマス試験紙になると考えるとよい。もしうまくいかないなら、あなたは「リュクールゴスの亡霊」に取りつかれている恐れがある。