平家物語が諭す「諸行無常」。世の中の万物は移ろいやすく、生滅を繰り返す。「唯一の超大国」として君臨した米国は、瞬く間に大恐慌以来の景気後退に陥り、ウォール街は「盛者必衰の理(ことわり)」を証明した。

 「100年に1度」の経済危機は日本列島にも襲い掛かり、雇用削減の嵐が吹き荒れている。国民は将来への不安を募らせ、社会全体が「巣ごもり」色を濃くする。しかし、巣の中にいても、危機は克服できない。希望を失わず夢の実現に向けて、リスクを取らなければ日本経済は復活しない。

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 ところで、プロ野球選手の頼みは、自らの肉体と精神だけ。組織の論理は冷酷であり、結果が出なければ職を失う。政府が面倒をみてくれるわけではない。日本でもリスクの高い職業なのに、さらに高いハードルに挑もうと、米大リーグの門を叩く選手が後を絶たない。

 そのうちの1人が、千葉ロッテからカンザスシティー・ロイヤルズに移籍した薮田安彦投手。日本球界に残っていれば、「最優秀中継ぎ投手」として生活の安定が約束されていたはず。しかし、「もっと上手くなりたい」という職業美学が、幾多の挫折から這い上がらせ、最終的に大リーグ挑戦へ駆り立てた。その飽くなきチャレンジ精神を通じ、「仕事とは何か」を考えてみたい。(以下敬称略)

高卒ドラフト無縁、都市対抗も未経験

 1月某日、東京ディズニーランド近くの公園。冬空の下、ジャージ姿で長身の男が黙々と走り込んでいた。シーズンオフで一時帰国した後も、薮田の生活に変化はない。ひたすら厳しいトレーニングを続けるだけ。「野球が人生のすべてだから・・・」

薮田安彦投手/前田せいめい撮影

薮田 安彦氏(やぶた・やすひこ)
大阪府出身、35歳。上宮高、新日鉄広畑を経て、1995年ドラフト2位で千葉ロッテ。2004年先発投手から中継ぎへ転向、2007年「最優秀中継ぎ投手」タイトル受賞。通算成績は343試合44勝59敗9セーブ。2007年大リーグ・ロイヤルズヘ移籍、2008年成績は31試合1勝3敗。
(撮影:前田せいめい、以下同)

 「物心ついた時、親父とキャッチボールをしていた」。父は大阪球界の名門・浪商高や社会人で活躍した野球選手。薮田も小学校1年でチームに入り、作文は当然のように「夢は野球選手」。強豪の上宮高に進学すると、2年上の強打者・元木大介(元巨人)の活躍により、1年生の薮田は控え投手として甲子園のベンチ入り。しかし、順風の野球人生はここで中断する。元木卒業後、薮田が甲子園の土を再び踏むことはなかった。

 それでも3年生の時、超高校級打者の萩原誠斗(元阪神)が率いる大阪桐蔭高を相手に14奪三振を奪い、薮田は話題になった。待ち焦がれたドラフト。監督からも「幾つかのチームから話がある」と明かされていたが、結局はどこも指名してくれなかった。

 大抵の高校球児なら、落ち込んでしまうだろう。ところが、薮田は持ち前の「ポジティブ思考」を発揮する。大学進学か、あるいは社会人野球か。18歳の少年は「金属バットの社会人を抑えられれば、自分の投球技術に磨きが掛けられるし、親の(経済的な)負担も少なくできる」と考え、新日鉄広畑に進んだ。

 しかし、社会人野球のレベルは想像以上。練習に練習を重ねているのに、「結果が全然出ない」。プロ野球への登竜門である都市対抗には1度も出場できなかった。日本選手権で仁志敏久(巨人→横浜)の日本生命保険を打倒。一躍、スカウトから注目を集め、1995年のドラフト2位で千葉ロッテに入団した。