「7時に予約したんだけど、店の場所分かるかな?」
「大丈夫、『ぐるなび』見て行くから」
こうした電話のやり取りが、いつしか当たり前になった。「ぐるなび」は東証1部上場企業の名前だが、飲食店をインターネット上で検索する行為自体を示す「普通名詞」にもなっている。
「セロテープ」「シーチキン」「エレクトーン」・・・。何れも企業の特定商品名だが、圧倒的な知名度によって日常生活ではそれが意識されず、ごく自然に使われている。(新聞記事では、それぞれ「セロハンテープ」「マグロの油漬け缶詰」「電子オルガン」などと言い換えられる)
一つの言葉がこのレベルまで普及すると、新たな「文化」の創造と言ってよいだろう。ぐるなびを創業した滝久雄会長は数十年先を見据える「未来構想力」を発揮しながら、飲食店の検索文化を日本で築き上げた。また、中国市場にいち早く着目し、日本発のぐるなびを「アジア標準」にしようと意気込んでいる。(2010年8月27日取材、前田せいめい撮影)
三菱金属入社、「副社長にはなれるかも」と考えたが・・・
1940年東京都出身 63年東工大理工学部卒、三菱金属(現三菱マテリアル)入社、67年退社、父が創業した広告業の交通文化事業(現NKB)入社 85年社長 96年NKBの事業として「ぐるなび」創設 2000年株式会社ぐるなび発足 05年大証ヘラクレス上場、中国事業(上海ぐるなび)スタート 08年東証1部上場 主な著書に『貢献する気持ち―ホモ・コントリビューエンス』(紀伊國屋書店)、『ぐるなび「No.1サイト」への道』(日本経済新聞社)など 近著は『やらなければならないことは、やりたいことにしよう!』(PHP研究所)
1963年4月――。東京オリンピックが1年後に迫る中、囲碁の腕前に自信のある1人の青年が東工大を卒業、三菱金属(現三菱マテリアル)に入社した。その33年後、ぐるなびをインターネット上で創設する滝久雄氏である。
自動車メーカーに対するコンサルティングなどを担い、仕事は楽しくて仕方ない。その一方で、毎年10月になると工場の周りを走り始め、体を鍛えてスキーシーズンに万全を期す。そして、業務多忙の合間を縫い、東京から日帰りで滑りまくるのだ。
工場内では「プリンス」と呼ばれ、滝氏は「私の勝手な思い込みですが、このまま勤めていれば、副社長にはなれるかなと思っていました(笑)」と当時を振り返る。
ところが、青年は悩みを抱え、他人にも打ち明けられず苦しんでいた。
滝氏の父、冨士太郎氏は政財界や交通分野に精通し、ジャーナリストとして活躍した。とりわけ、東急グループの五島慶太氏や阪急グループの小林一三氏ら鉄道業界の大立者との交流が深く、1948年に財団法人日本交通文化協会を設立、戦後の業界の復興・発展に尽くした。
その運営会社の交通文化事業(現NKB)は駅のベンチに日本で初めて看板を取り付けるなど、冨士太郎氏は鉄道に「広告媒体」としての付加価値を見いだし成功を収めた。