その果てに「拉致」はどこにも記されず、核・ミサイルの廃棄も謳われていない。その一方で「人道主義に基づく経済支援」は明記されたのだった。宣言には支援の具体的な金額こそ記されていなかったが、当時の交渉関係者は揃って支援は少なくとも「1兆円」を前提に折衝が進められていたという。そのまま事態が推移していれば、2003年初めには日本と北朝鮮は国交を樹立し、戦後補償も含めて1兆円という巨額の資金が北朝鮮に流れ込んでいたはずだ。宣言は「人道主義」を麗々しく謳っているが、核・ミサイルへの歯止めを欠く以上、日本の納税者の1兆円は、核・ミサイル開発に流用されたことは明らかだろう。
ウラン型核爆弾の破壊力
多くの問題を孕む「日朝平壌宣言」を葬り去ったのは、日本の最重要の同盟国アメリカだった。当時の小泉内閣は、日朝の極秘交渉をブッシュ政権にも明かさず、小泉訪朝を告げたのは直前だった。
当時のブッシュ共和党政権の怒りは凄まじかった。アメリカの外交・国防・情報当局は、北朝鮮がプルトニウム型の核爆弾に加えて、新たにウラン濃縮型の核爆弾の製造にも手を染めている事実を暴露して、日朝の接近に「ノー」を突きつけた。訪朝直前に急遽訪米した小泉に国務長官、コーリン・パウエルは北の核開発に厳しい調子で警告を発した。
実際、「平壌宣言」からおよそ4年後となる2006年7月、金正日率いる北朝鮮は、アメリカ独立記念日に狙いを定め、7発の中距離ミサイルを日本海に打ち込むように下令した。さらに2カ月後、日本、アメリカ、さらには中国、ロシアの制止まで振り切って、核実験のボタンを押すよう命じたのだった。
金正恩政権は、いまの日本から「人道支援」を名目に1兆円から2兆円という巨額の資金提供を期待しているという。永年の苦難に耐えた拉致被害者を祖国に取り戻すためにはそれ相当の代償が必要だ。
だが同時に、日本からの資金が核・ミサイルの開発・製造に使われる事態は断じて阻まなければならない。日本の納税者もそれを許さないだろう。シンガポールで交わされた「米朝宣言」にも、核・ミサイルを廃棄に導く明確な道筋は描かれていない。こうした情勢下で日本からの巨額の資金が北に流れれば、日本の納税者は自らを標的にする核・ミサイルの資金を自ら賄う愚を犯してしまうことになる。 (文中敬称略)