東京じゃなくてもソフト開発はできる

──東京から福井に戻られたのはいつですか。

平鍋健児氏(以下、敬称略) 1995年です。ちょうど30歳のときですね。

──なぜそのタイミングだったのですか。

平鍋 子どもが生まれたからです。東京で子供を育てるイメージが僕にはまったく持てなかったんですね。アパートで隣や下の部屋を気にしたりとか、公園デビューとか、そういうのは何か違うなと思いました。僕は大野で生まれ、夏は川で泳ぎ、冬は近くのスキー場でスキーをして遊びました。自分の子供にもそうやって田舎でのびのび育ってほしかったというのがいちばん大きな理由です。

──奥さんはどんな反応だったんですか。反対されなかったのですか。

平鍋 それが大賛成だったんですよね、嬉しいことに。

──奥さんはどちらの出身ですか。

平鍋 福島です。僕と同じで田舎育ちなんです。だから賛成してくれたんでしょうね。

──仕事はどうするつもりだったんですか。

平鍋 仕事への不安はありませんでした。収入もあまり気にしていませんでしたね。そのまま課長になれば給料は上がるはずでしたけど、別にもういいやという感じで。当時、CADの開発の仕事をしていたので、その仕事を福井に持ってきてやれと思っていました。

──ソフト開発は東京じゃなくてもできるだろうと。