斎藤長秋編『江戸名所図会』より佃島其二。石川島人足寄場は、図中の右側中段やや上にある。(写真:国立国会図書館

 江戸幕府の8代将軍、徳川吉宗が成立させた「公事方御定書」。この法典では、それまで希薄だった犯罪者の「更生」という概念が取り入れられた。1742(寛保2)年のことだ。

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 それから50年近く経った1790(寛政2)年、ある政策により「更生」の概念をより進化させた人がいた。老中の松平定信である。

「彼の時代に作られた『人足寄場』(にんそくよせば)は、戸籍から外された“無宿”(むしゅく)を社会復帰させるための施設でした。そしてこれが、日本の刑務所の源流となっていることはあまり知られていません」

 そう説明するのは、法律の歴史を研究する國學院大學法学部の高塩博(たかしお・ひろし)教授。人足寄場とは一体どんな施設であり、どのように更生を図ったのか。そして「今の刑務所の源流」が意味するところとは。高塩氏に話を聞いた。

國學院大學法学部教授の高塩博氏。昭和23年(1948)生まれ。國學院大學大学院法学研究科修了。同大學日本文化研究所助教授・教授を経て、同大學法学部教授。日本法制史専攻。法学博士。法制史学会理事、法文化学会理事、公益財団法人 矯正協会理事。近年は江戸時代の刑事法制を中心に研究を進めている。主要著書に『江戸時代の法とその周縁―吉宗と重賢と定信と―』(汲古書院、平成16年)、『近世刑罰制度論考―社会復帰をめざす自由刑―』(成文堂、平成25年)、『江戸幕府法の基礎的研究』論考篇・史料篇(汲古書院、平成29年)、など。

「天明の飢饉」で起きた、治安の悪化がきっかけに

――1790年にできた人足寄場は、無宿や罪人を受け入れる施設だったと聞きます。まず“無宿”とは、どのような人のことでしょうか?

高塩 博 氏(以下、敬称略) 無宿とは、戸籍から外された人のことです。江戸時代には無宿が多く存在しました。罪を犯した人はその代表でした。また親に勘当された人、他には故郷を離れた人、今でいえば失踪した状態の人も、親族が戸籍を外すことによって無宿となることが珍しくありませんでした。なぜなら、江戸時代は子どもの借金や犯罪に対して、親族が連帯責任を取らされる場合があったからです。

 このような無宿にとっての大きな問題は、まともな仕事に就けないことです。その結果、盗みなどの犯罪を犯すケースが多々ありました。