こだわった「商業高校」と「女子教育」。その狙いとは?

――ここまでは福祉・医療に関するお話を伺いました。それ以外の分野ではどんなことをしたのでしょうか。

石井 教育における功績も大きく、渋沢は多くの教育機関を立ち上げています。中でも力を入れたのが「商業高校」と「女子教育」です。

 まず「商業高校」について説明しましょう。当時、経済界で急伸した財閥などは、いわゆる東京大学や慶應大学など、エリートの教育機関を重視していました。しかし渋沢は、商業教育を重要と考え、それにより経営者やミドルマネジメントのような“実際に企業やビジネスを動かせる人”を増やしたいと考えていました。具体的には、簿記や英語といった実学の重要性を説いています。

 たとえば1878年には三菱が三菱商業学校を設立し、簿記を学ばせるというケースはありましたが、渋沢はそれを学ぶ専門の教育機関をつくろうと考えたのです。そして、そのような教育機関が存在することを正当化し、増やしたかったのではないかと考えられます。

 こうして彼が関与したのが、東京商業学校(現・一橋大学)や高千穂商業学校(現・高千穂大学)、大倉喜八郎(明治時代の実業家)を中心に設立された大倉商業学校(現・東京経済大学)などです。さらに、名古屋商業学校や横浜商業学校などにも携わります。

――商業を学ばせたかったのは、その人材を自分の企業で採用する狙いがあったのでしょうか。

石井 いえ、そういうことではないと思います。純粋に、経営者や企業が必要とする戦力を日本にもっと増やしたかったのではないでしょうか。当時、大学に行けるエリートはほんの一部ですから、もっと広く会社で力を発揮できる人材を作りたかったはずです。

――もうひとつ、渋沢が重きを置いた「女子教育」についても教えてください。

石井 渋沢は、民間の私立女学校への援助を多数行いました。有名なところでは、日本女子大学校(現・日本女子大学)や東京女学館の設立に関わっています。