私はトヨタの米国展開を取材するために章男さんにも会いに行った。
サンフランシスコに行くのが初めてとトヨタに伝えておいたら、あろうことか、章男さん自身が1人でトヨタのピックアップトラック「タンドラ」に乗ってサンフランシスコ空港に迎えに来てくれた。
章男さんは手早く私のスーツケースをタンドラの荷台に括りつけサンフランシスコ湾の対岸にあるNUMMIへ行き、工場を案内してもらった後、インタビューして、その後、シリコンバレーにあるトヨタの米国における中枢部へ連れて行ってもらった。
ニューヨークでもなく、販売会社があるロサンゼルスでもなく、実はトヨタの米国におけるバックヤードの中枢はシリコンバレーにあったのだ。
祖父・豊田喜一郎を徹底的に研究
そしてシリコンバレーの最高級住宅地であるロスアルトスヒルズ(章男さんの家もそこにあった)にある日本食レストランで食事をご馳走になり、私のフライトの時間に合わせて再びタンドラでサンフランシスコ空港まで送ってもらった。
「俺は豊田家の御曹司だ」というような奢ったところを全く感じさせない非常に目線の低い真面目な人だというのが当時の印象だった。謙虚で研究熱心な性格が社長になった今、伊那食品工業との縁を結ばせたのだろう。
実はNUMMIでの後しばらくして章男さんは日本の本社に戻ることになり、入れ違いに今度は私がシリコンバレー支局長として赴任することとなった。本来はニューヨークへ勤務する予定だったのが突然のITブームで行先変更となり、僭越ながら少なからぬ因縁を感じたものだ。
面白い話があるから名古屋に来ないかと誘われ、シリコンバレーから駆けつけて行ったこともある。その後、東京に寄らずに米国へ戻ったら、なぜ会社に寄らないんだと上司だった常務からこっぴどく叱られた苦い思い出でもある。
章男さんに名古屋や豊田市の本社を案内してもらった際、車の中でしきりに「(祖父で創業者の)豊田喜一郎について研究しています。いずれ本を書くつもりです」と熱っぽく語っていたのを思い出す。
結局、その本は出なかったようだが、トヨタの創業精神、企業とは何か、企業と社会の関係はどうあるべきかに強く関心を持っていた。伊那食品工業を訪問したことを聞いて、すぐに脳裏に浮かんだのがあの車の中でのことだった。