7月30日、私どもの研究所の一員である吉野ゆりえさんが亡くなった。享年48才だった。
吉野さんは多才な人だった。筑波大学国際関係学類在学中に「ミス日本」に選出された。また、社交(競技)ダンスのプロとしてデビューした。
瞬く間に日本のトッププロとなり、活動の場を英国に移した。英国では「ブラックプールダンスフェスティバル」にも出場し、活躍する。
当時、日本テレビで放映された「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」の「芸能人社交ダンス部」のコーチも務めた「人気者」だった。その後、2002年に現役を引退し、後進の指導に従事する。
前途洋々に見えたその時・・・
前途洋々に見えた吉野さんに不幸が襲ったのは2005年のことだった。出張先で腹痛を自覚。紆余曲折の末、サルコーマ(平滑筋肉腫)と診断された。5年生存率が7%とされる予後不良の悪性腫瘍だ。
いくつかの病院を経由し、国立がんセンター中央病院で治療を受けることになった。
サルコーマは稀な癌だ。専門医はいない。患者は、どの病院を受診したらいいか分からない。吉野さんも、国立がんセンター(現国立がん研究センター)中央病院の専門医と知り合うまで、苦労したようだ。
彼女は闘病生活の傍ら、サルコーマの治療センターを作ろうと決心した。そして、2008年9月に、自らが代表を務める「日本に『サルコーマセンターを設立する会』」を立ち上げた。
吉野さんの活動は、私も知っていた。ただ、私は、彼女の活動を冷めた目で見ていた。なぜなら、彼女は美しく、あまりにも有名だからだ。周囲が放っておかない。
事実、彼女は、多くの学会やシンポジウムに呼ばれていた。この手のイベントの多くは中味がない。政府に「提言」して終わる場合が多い。