腕の火傷が物語るもの

 今回の現地調査を行うまでは、イギリス植民地時代に建設された築100年近い橋梁を含めて老朽化したものは架け替え、近年建設されたものはそのまま使えるだろうと思っていたメンバーたち。

 しかし実際には、例えば2006年にヤンゴンからネピドーに首都が移転された後、複線化のために既存の鉄道橋の隣に建設された橋梁も浸食や劣化が進んでいることが分かった。

 とはいえ、建設を支援した国によっては設計図面すら残っていない橋梁も多く、杭の長さや径を含めてまったく分からない状態であるため、緊急補修や部分改修を適切に行うことは困難で、今回、何か対策をとろうとするなら全面的に架け替えるしかないのが現状だという。

 だからこそ、日本の知見を生かせることがありそうだ。実際、浅尾さんによると、日本では、例えば川に橋梁を1本架けるだけでも、川幅に占める橋脚の幅の割合を5%以下に抑えなければならないなど、さまざまな条件が定められているのだという。

 他国に比べて長さが短く、上流から下流への勾配が急であるため、いったん雨が降るとすぐに増水し氾濫する日本の河川。長年にわたり闘いの歴史を有する日本だからこそ、今回の近代化事業に向けてその知見を生かし、長期耐用が可能な橋梁を建設することができるはずだ。

 また、今回、志田さんや佐藤さんが橋梁や周辺の状況を現場で記入していた記録を含め、架け替えや点検を行った時期などを皆で共有する橋梁台帳など、維持管理に必要なツールや方法を確立し、伝えていくことも、日本の技術指導が得意とするところだろう。

 もっとも、橋梁は鉄道建設全体のコストも大きく左右する建造物である上、設計や建設は円借款によって実施されるため、どれだけの橋梁をどの程度架け直すかは、ミャンマー側にとって大きな問題であることは言うまでもない。

 浅尾さん率いる橋梁チームは、今回の現地調査の結果を踏まえ、今後、フェーズ2区間上の橋梁をリスト化してミャンマー国鉄と話を詰めていく予定だ。

 数日後、ネピドーのプロジェクトオフィスで再会した佐藤さんの腕は、火傷を負ったかのように赤黒く腫れ上がり、皮がむけていた。新年に向けてお互いに水を掛け合って身を清めるティンジャン祭りが行われる4月中~下旬は、1年の中で最も暑い。

 そんな中、50年後、100年後を見据えつつ、朝から夕方まで屋根のないインスペクション・カーの荷台に乗って70もの橋梁を見て回った3日間の苦労は想像するにあまりある。

 痛々しい腕の火傷は、日本の技術者に共通する現場重視のマインドを鮮やかに伝える勲章のように見えた。

(つづく)