北朝鮮は核と大陸間弾道弾(ICBM)の開発を異常なピッチで進めている。米国の新政権による北朝鮮政策が固まらないうちに核搭載のICBMを確保し、米国の行動を抑止したい意図が見え見えである。
米国(本土ばかりでなく米国領の一部でも)を射程範囲に収める核兵器搭載ミサイルの数がわずかでも、米国の拡大抑止にブレーキをかけることができるとみているからであろう。その結果は日本などへの拡大抑止力の低下にもつながる。
米国の拡大核抑止力の低下は、日米・米韓同盟の信頼性を揺がせ、米国の同盟国である日米分断、米韓分断にも等しい状況をもたらしかねない。
その結果、日本の安全を著しく低下させ、「座して死を待つ」悪夢を見る状況が現出する。こうした悪夢をもたらす状況の激変から、日本では今まで封印されてきた「敵基地攻撃能力」問題がようやく語られるようになってきた。
自民党安全保障調査会は3月29日に国防部会との合同会議を開き、ミサイル防衛(MD)の強化に向けた緊急提言をまとめ、翌30日に安倍晋三首相に提出した。その中では米軍の最新鋭の迎撃システムである「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の導入や「敵基地攻撃能力」の保有に向けた検討を直ちに開始するよう求めている。
憲法の精神とは何か
日本は防衛の基本政策に「専守防衛」「軍事大国にならないこと」「非核三原則」「文民統制の確保」を掲げている。
「軍事大国にならないこと」は防衛費が概ねGDP(国内総生産)1%枠であること、「文民統制の確保」は予算査定やPKO五原則などで厳しすぎるほどに守られてきた。「非核三原則」は米国の拡大抑止に依存する点から問題があると批判されながらも、核に手を出さない意志表示として維持している。
「専守防衛」については、過去の経験から、たとえ自衛戦争にしても日本は国土を離れて防衛力を積極的に行使しない含意もあり、戦略守勢などの用語も国会論戦では使用されたが、最終的に専守防衛に落ち着いたと仄聞した。
専守防衛について防衛白書は「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう」と説明している。
「憲法の精神」に則った「受動的な防衛戦略の姿勢」としているが、ここでいう「憲法の精神」とは「第9条」とそこから演繹される政治的軍事的な抑制を指しているのであろう。平和憲法とか不戦憲法と言われてきたゆえんも、第9条や第2章に起因している。
しかし、筆者の独断と偏見では、日本国憲法の精神は第9条にあるのではなく、「前文」にあるのではないだろうか。その結果、憲法の全条項は前文の具現化とみる。
このように解釈すると、国際環境が憲法前文の通りである場合は第9条が日本の決意を示すことになり、また、国際環境が前文のようでないならば、前文に示すようになってくれることを願って第9条を固守してきたと言えよう。
これが日本国憲法の枠組みであると解釈するならば、各条文はあくまでも前文の趣旨を実現するためのものとなり、単なる飾り文句ではないはずである。