「ドイツ料理」と言えば肉やソーセージとジャガイモというイメージがある。茹でたてのアツアツにバターなぞ載っていると、カロリーやコレステロールはさておき、なんとも旨そうに見えるものだ。
しかしちょっと辞典を引けば「ジャガイモは南米アンデス山脈の原産」と書いてある。元来ヨーロッパにあるわけのない植物が、どうして「民族の主食」にまでなったのか?
政府主導による徹底的な作付けが、ある時期集中的に行われたからにほかならない。作付け指導者は「大王」の名を冠せられることもあるプロイセン王フリードリヒ2世(1712-1986)だ。
「代表的啓蒙専制君主」と呼ばれるフリードリヒ大王はドイツ東北部「プロイセン」の君主で全ドイツの王様ではない。
だが今では南部のバイエルンでも東部ラインラントでもジャガイモはあまねく食されている。それどころか、マクドナルドで売られているような油で揚げたポテトは「フレンチフライ」(フランス揚げ)などとも呼ばれている。
なぜ「アンデス揚げ」でなく、フレンチフライなのか?
フリードリヒはなぜ「啓蒙専制君主」だったのか?
こんな日常のどうということのない小さな表記の裏に、実はグローバルパワーの駆け引きと壮絶な競争の歴史が秘められている。
ザクセンとオランダの「酸化コバルト」を巡るビジネスウォーズの世界展開を考えるためには、分裂国家ドイツの覇者となるプロイセンの物語を考える必要がある。
プロイセンは土地に恵まれなかった。資源も豊富ではなかった。むしろ後発国として繁栄する諸国の後塵を拝さねばならなかった。そんなプロイセンが取った立国戦略は「人を育てること」人材育成にほかならない。
領土と資源に恵まれない国が、人材育成で国際展開を図る・・・どこかで聞いたような話だ。