古雅な美しさで知られるオランダ・デルフト陶器の「デルフトブルー」。2010年に300年を迎えたドイツ、ザクセンのマイセン陶器と、世に名高い「マイセンブルー」。そして21世紀の今日も印刷などプロフェッショナルの色指定に残る「プルーシャンブルー」。
これらはすべて、一言で言えば「コバルトブルー」という同じ色を指している。言うまでもなく希少金属であるコバルトの酸化物が発色しているわけだが、この希少金属を巡る国際間の熾烈な争いが、3つの青を巡って多様な歴史を形作ってきた。
これらは決してローカルな話題というだけでなく、17世紀から21世紀にかけてオランダ~英国~ドイツなど欧州での値引きゼロのパワーウォーズを露骨に反映し、さらには安土桃山時代から21世紀の今日まで、日本のテクノロジーイノベーションとも極めて密接な関連を持ち続けている。
グローバルにしてローカル、社会哲学者・山脇直司の概念に拠るなら「グローカル」な問題系が400年の歴史の深さを持ってここに存在している。引き続きレアメタル「青」を巡る物語の続きを展望してみよう。
「青」を巡る熾烈な攻防
欧州宗教戦争が一段落した1600年代後半になると、戦時技術を応用した民生産業が雨後のたけのこのように伸び始める。ちょうど1945年までの戦争が昭和30(1955)年代の高度成長をもたらしたのと状況が似ている。
メキシコ銀の流入で銀価格が暴落し、ザクセンはコバルト原料を主要な輸出商品とすべく、生産と物流を管理し始める。従来はただ同然で入手していたコバルト原料がいきなり高価なものとなり、デルフト窯業界は大打撃を蒙ることになる。
マネーはザクセンに流れ込み、原材料の高騰で値段の上がったオランダ焼き物は市場競争力を失ってしまう。
そこでオランダが重商主義的に考えた方法は極めてオーソドックスだった。「マネーはあるところから取れ!」。「コバルト太り」するザクセンから、いかにしてマネーをデルフトやハーグ、アムステルダムに取り戻すか・・・答えはシンプルだった。
彼らが持っていないものを売れ!
オランダよりイタリア・ベネチアに近いドイツのザクセンに、地中海の文物を売るわけにはいかない。