最近、中東産油国の方とお話しする機会が増えた。そこで特に話すようにしているのが「イスラミック・イノベーション」という話題だ。「イスラム」と「イノベーション」という2つの言葉は、必ずしも私たちの耳に馴染み深いものではない。
ルネッサンスとは実は模倣だった
さらに「ファイナンス」となると、距離はさらに遠くなる印象がある。では「イノベーションのためのイスラミック・ファイナンス」では?
それに関わる日本の役割は? ちょっと面白い話題に関わっている。2010年はかなり頻繁にサウジアラビアやカタール、アラブ首長国連邦などと往復することになりそうで、この関連の話題は追って本腰を入れてご紹介していきたい。
イスラムの方々とお話しする時、最初に必ず言うのが「ルネッサンスの3大<発明>」というストーリーだ。そもそも「ルネッサンス」文芸復興という言葉が怪しげだ。何からの「復興」か?
実はルネッサンスなるものはイスラム世界が7世紀から15世紀まで営々と発達させてきたイノベーションの「引用」と「高度化」に過ぎない。
上で言う「3大発明」とは「羅針盤」「火薬」「印刷術」の3つを指す。そしてこれらが例外なく「私たち極東の文化圏」つまり広い意味での中華文化圏で発見された事実を、イスラムが数百年をかけて練磨した結果、より広範な応用に耐えるものになったのである。
イスラムの徹底した一神教が技術革新を生んだ
では、オリジナルを見つけるのに目ざとい中国の文化風土がなぜ、こうした探求に適さなかったのだろうか?
そこにイスラムの徹底した「一神教原理」、つまりアッラーに並ぶべき何ものもなく、不可解な精霊やオカルトの存在を全否定して、徹底的に現象を追究した「アッラー以外唯物論」という根本姿勢があった。
という話を、コーランやハディース、シャリーアなどを引用しながら紹介すると、彼らの目の輝きが変わってくる。アラビア語をきちんと発音するのがなかなか大変だ。
「16世紀以降、西ヨーロッパが遅ればせながら進めた『聖俗革命』、つまり宗教改革・産業改革そして市民革命の3点セットは、実はムハンマドの示した真理の方向性を、数百年遅れてなぞった側面がある」と、中東の友人たちが本当に深く胸襟を開いてくれるようになる。