中国の改革開放政策に倣い小泉純一郎内閣が導入したと言われる「経済特区」。実は、そのルーツは中国ではなく、江戸時代の日本にあったことをご存じだろうか。
鎖国時代、日本の対外貿易の窓だった長崎の「出島」だ。その出島は、見る影もなくなっていたが、現在、昔の姿を取り戻すプロジェクトが進行している。
今年(2016年)には出島の中央部分に6棟の復元建造物が完成した。輸入品を保管していた十六番蔵や商館員の住まいだった筆者蘭人部屋、砂糖を保管していた十四番蔵などが往時のままに復元された。
そして来年(2017年)には出島表門は氏が架橋され、いよいよ海を埋め立てて造られた当時としては画期的な島だった出島が昔の姿で私たちの前に登場する。
日本初の経済特区とも言える出島の歴史は示唆に富む。貿易とは何か、国際化とは何か――。
米国で国境に壁を造ると宣言しているドナルド・トランプ大統領が誕生、欧州でも移民排斥運動が広がるなか、グローバリゼーションが改めて問われている現在、江戸時代に唯一世界に開かれた土地だった出島の歴史から学べることは実に多い。
そして私たちがその甘く濃厚な味を楽しんでいるカステラもまた、出島がなければ生まれなかった。
1億円の借地料と日本初のパートナーシップ
鎖国体制の江戸幕府の下、日本人の海外渡航が禁止された1634年、出島の建設が始まった。出資したのは実は幕府ではなく、長崎の町人だった。
長崎で当時、財力を誇った有力町人25人が集まり、「自分たちの貿易の舞台として、幕府からの特権を得るため」に身銭を切ったのが始まりである。
約2年後に完成した出島は、扇型をした広さ4000坪(約1万3200平方メートル)の人工島になった。
今も長崎の歴史に名を遺す25人の町人は、後に「出島町人」と呼ばれたが、長崎が貿易港として発展することを見込み、博多など九州の各都市からいち早く長崎に居を移した者たちが大多数だった。