最古の記録は“失敗”だった日本の養蜂

養蜂とはちみつの過去・現在・未来(前篇)

2016.09.16(Fri)漆原 次郎

 近代式養蜂への大転換の影で、ニホンミツバチの存在感は減っていった。ニホンミツバチはラングストロス式巣箱になじまず、また転地養蜂に欠かせない移動にもそぐわなかった。日本の養蜂は、伝統的技法から近代的技法へ、ニホンミツバチからセイヨウミツバチへと切り替わっていった。

(左)ニホンミツバチ。(右)セイヨウミツバチ。

戦後、はちみつは本格的に食用に

 戦中から戦後にかけて、砂糖が不足した。そこで、ようやく甘味料としてのはちみつの需要が高まっていった。戦後間もなく、その需要を当て込んで養蜂業を志す人たちが増え、1949(昭和24)年には養蜂家の数は戦前の3倍を超えたとされている。

 養蜂の民俗を研究する福島県立博物館学芸員の佐治靖は、「近代(明治)以降の日本人と養蜂」という論考で、戦後の養蜂家の増加について「鉄道や道路など全国的な交通網が整備され、さらに蜂群移動のための大型トラックの導入など、モータリゼーション次代を迎えたことが、その背景にあったことは無視できない」と指摘している。

 現在、ニホンミツバチを使った伝統的養蜂は、文化的保存のため、あるいは趣味のために営まれる程度になった。その対価といってよいか分からないが、近代的技術への転換により、ここ100年ほどの日本の養蜂産業はある程度は花が開いたといえよう。

 はちみつについても、戦後、薬用だけでなく甘味料としても本格的に消費されるようになり、需要が伸びた。1990年頃には「はちみつレモン」(サントリー)の大ヒットによる消費量の増加もあった。最近は大幅な増減はなく、貿易統計によると2014年の消費量は4万680トン。国民1人あたり年間320グラムを消費している計算になる。

「ミツバチの大量消滅」が世界的騒動に

 ここまで追いかけてきた通り、日本における食としてのはちみつの歴史は古いとはいえず、食文化におけるはちみつの地位も確固たるものではない。その分、これからの“伸びしろ”があるとも捉えられる。ミツバチという自然界の生産者が作ってくれる食材という点では、現代の自然食嗜好にも合っている。

 だが、そうした中で、2000年代の半ば、突然のように「ミツバチの大量消滅」が騒がれはじめた。人とミツバチの長い関わりの途上で暗雲が立ち込めてきたようにも思える。養蜂もはちみつも、ミツバチあってのこと。そのミツバチに何が起きているのだろうか。

 後篇では、現在のミツバチを巡る状況について、ミツバチ研究者に話を聞くことにしたい。

後篇へつづく)

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