最古の記録は“失敗”だった日本の養蜂

養蜂とはちみつの過去・現在・未来(前篇)

2016.09.16(Fri)漆原 次郎

 養蜂についての文献が日本で初めて見られたのは『日本書紀』においてだ。それは“失敗”の記録だった。643(皇極天皇2)年の条に、次の記述がある。

<百済の太子余豊、蜜蜂の房四枚をもって三輪山に放ち、養う。しかれどもついに蕃息(うまわ)らず>

 百済の王子だった余豊が日本に渡来して、奈良の三輪山で養蜂を行ったが、繁殖しなかったという。このときの養蜂は、仏像鋳造用の蜜蝋を得るためのものだったとみられている。

 はちみつについては、平安時代中期の927(延長5)年に完成した律令細則『延喜式』に、朝廷への貢進の内容として、こう記されている。

<蜜。甲斐国一升。相模国一升。信濃国二升。能登国一升五合。越中国一升五合。備中国一升。備後国二升>

 1升の蜜は、いまの計量換算で2.5キログラムほど。貢進品としてはわずかな量といえよう。はちみつ料理研究家の清水美智子は総説「人類最古の甘味料『ハチミツ』」で、供進された蜜の量の少なさから「大部分が薬用だったと思える」と述べている。

江戸時代、養蜂が各地で広がる

 その後も長らく、日本におけるはちみつの用途は、ほぼ薬用、あるいは蜜蝋としての使用に限られていたとみられる。では、食における甘みを日本人がどのように得ていたかというと、芋や米などのでんぷんを糖化させた飴や、樹液を集めて煎じた甘葛(あまづら)、そして砂糖など、もっぱら植物由来のものからだった。

 一方、はちみつは依然として薬用が中心ながら、江戸時代ようやく庶民に出回るようになっていったようだ。同時に、ミツバチの研究や養蜂の技術も進んだ。

 江戸時代前期から中期に活躍した儒学者の貝原益軒(1630-1714)は、1709(宝永7)年刊の本草書『大和本草』で、ミツバチには4種類あると述べている。

<蜜蜂 本草を考るに。石蜜あり。木蜜あり。土蜜あり。人家に養ふ家蜜あり。すべて四種也。日本にも亦此四種あり>

 益軒はミツバチのいる場所に着目し、「石蜜」は高山の岩石に、「木蜜」は樹枝に、「土蜜」は崖などの乾いた土中に、そして「家蜜」は諸州あちこちに多いとした。木蜜、土蜜、家蜜は同じハチであるとも述べている。

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