新潮社が毎月刊行する冊子『波』をご存知だろうか。自社の刊行する本を取り上げたPR誌であるが、とてもクオリティが高いので月末の刊行日をいつも楽しみに待っている。その『波』の2016年8月号を読んでいて、次の一文に目が留まり、ある本の購入を決めた。

<私がこの講義で本当に伝えたかったことは何だったかというと、〈新しい物語〉を作る努力をしてほしいということなんです。人間は本質的に物語を好む生き物ですが、かつてあった社会主義のような〈大きな物語〉がポストモダン以降に消滅し、ぽっかり空いた隙間をグロテスクで反知性主義的な物語が埋め尽くそうとしています。>(『波』2016年8月号より)

 通常使われる意味において「物語」というと、フィクションがまず頭に浮かぶ。他方、併せ持つ特性として共通のヴィジョンを示すこと、教訓を盛り込めるという特性をここでは指し示す。

 悪意によるミスリードも誘発し得るという危険性にもさらりと触れ、それでも人間は物語を求めるということが書かれた前述の一文に、どういった内容が書かれた本なのかと、とても興味をそそられたのだった。

 種を明かすとこの一文は、本コラムの1冊目で紹介する『君たちが知っておくべきこと』という本の刊行記念対談において、佐藤優氏が発言したものだ。

 私たち書店に勤める者には、物語を扱い、届ける手伝いをしているという自負がある。帰路で『波』のこの一文を読んで、踵を返して職場へと戻り、当該書籍を押っ取り刀で買った。結果、蒙が啓かれるような素晴らしい本だったので、今回紹介したい。

佐藤優が教える「思考力」の養い方

君たちが知っておくべきこと―未来のエリートとの対話―』(佐藤優著、新潮社)

『君たちが知っておくべきこと―未来のエリートとの対話―』佐藤優著、新潮社、税込1404円

 本書は、灘高生が新潮社経由でオファーを出し、佐藤優氏がそれを受け入れる形で実現したという。読み進めていくと分かるのだが、学生側は入れ替わりながら3年にわたって講義を受け続けたようだ。

 講義をする側である佐藤氏は、大学院卒業後、外交官としてソ連・ロシアに赴任した。2002年、いわゆる「鈴木宗男事件」により背任および偽計業務妨害容疑で逮捕され、その後有罪判決を受けた。特異な経歴の持ち主であることは広く知られている(佐藤氏の著作『国家の罠』参照)。ゆえに、その発言は重みが違う。

 講義の受け手側、中高一貫の私立である灘高等学校は偏差値が高いことで知られる。偏差値でいうなら日本の上位0.1パーセントに入る超エリートだ。

 彼らの能力は、佐藤氏に対する質問の的確さと、佐藤氏から答えを求められた際の見識の広さからうかがい知ることができる。世界史と現代の世界情勢とを中心に展開される講義の中で、彼らは自分たちが持っているその見識が実践を伴っていない事実を、佐藤氏に突き付けられる。