南シナ海や対北朝鮮協議=岸田氏、相互訪問促す-4時間半意見交わす・日中外相

なぜ中国の王毅外相は他国に居丈高な態度をとり、いかにも不機嫌そうな顔をするのか・・・。中国・北京の釣魚台迎賓館で会談し握手する岸田文雄外相(左)と王毅外相(右、2016年4月30日撮影)。(c)AFP/JASON LEE 〔AFPBB News

 中国は事あるごとに日本に対して「歴史に学べ」と言う。しかし、今、その言葉はそっくり中国に返してやりたい。昨今の情勢を見ていると、歴史に学ばなければならないのは中国の方だからだ。

“負け組”が推し進めた戦争

 中国が言う「学ぶべき歴史」とは、日中戦争である。日本が中国を侵略し多大な迷惑をかけた。この事実を否定するつもりはない。そして日本はこれまで何度も謝ってきた。

 歴史に学んだからこそ、戦後は1度も海外に派兵していない。平和憲法を順守し、あまりに順守し過ぎて同盟国である米国の戦争も手伝わない。このような事実を見る時、日本は歴史によく学んだと言ってよい。

 戦前、日本がアジアに居丈高な態度に出た背景には、黒船が来航して以来、西欧に対して抱いてきた劣等感があった。その劣等感は日清日露の戦役に勝利し、かつ第1次世界大戦の戦勝国になったことで大いに払拭された。

「一等国日本」、これは1920年代に日本においてよく使われた言葉だそうだ。一等国になると、西欧への劣等感がアジアへの優越感へと変わった。その自信がアジアへの侵略につながった。

 政治が軍部をコントロールできなかったために戦争になったとも言われるが、そもそも戦前の政治は、“国際協調派”とアジアへの“膨張主義派”に二分されていた。

 国際協調派は昭和天皇や西園寺公望を中心とした宮中、外務省を中心とした高級官僚、高橋是清に代表される経済界、そして条約派と言われた海軍の軍人。一方、膨張主義派は陸軍、民間の右翼、その背後には大勢の貧しい庶民や農民がいた。