岩澤予想は1950年代にまとめられます。上記ワイルズの解決が1993-95年、岩澤健吉教授は1998年に逝去されましたが、晩年にその解決を見届けられたことになります。

 話が面白いことで知られ、フランスの大家アンドレ・ヴェイユをして日本で最も独創的な数学者と言わせしめた岩澤健吉教授は東大から頭脳流出して米プリンストン大学で研究生活を送りました。

 岩澤教授もまた、岩田覚、宇澤達教授らと同様、私立武蔵高等学校で学んだ1人で友人知己、先輩後輩との闊達な雑談を含めたやり取りの中から、多くの独創的な発想を生み出したことは間違いありません。

 ガリガリ詰め込むカリキュラムではなく、放牧と先輩後輩の自由な関わり合いの中から本当に科学の歴史に新しいページを書き加えていく、正真正銘の卓越の伝統がここから伺えると思います。

 いま東工大や東大で進められている高等研究教育の基本的な筋金に、この同じ学統が極めて色濃く顔をのぞかせていることは、もう少し知られてもいいかもしれません。

(つづく)