前回の続きで、しばしばメディアでも取り上げられる「学力崩壊」とは別の、高等教育におけるモラル的な「崩壊」と対策について考えたいと思います。
学生に「将来何をしたいの?」と尋ねても、これという答えが帰ってこないことが多い。まじめによく努力していて成績だって決して悪くはない。それでも、いまひとつ焦点が定まっていないという学生は、決して少なくありません。
それが悪いというわけではない。でもそれでは「弱い」というポイントを指摘したいのです。
比較の対象としてアスリートを挙げてみましょう。
野球選手の場合、高校球児に「将来の夢は?」なんて聞いても、プロ入りするならドラフトその他関門がありますから、自分の思うとおりの球団に進むことは必ずしもできない。
でも16、17歳にもなっていれば、自分のポジションがおおまかにどのあたりか、野手なのか投手なのか、あるいはキャッチャーなのかといった大別は分かっているはずです。
むろん先々外野でポジションが変わるといったことはあるでしょう。あるいは内野手だった人が外野に転向ということだってないことではない。
ただ、漠然と「野球がいいと思うんですよねぇ・・・」と夢想しているだけでは、選手としてプロで戦える、強力な人材など育つわけがない。
諸外国の教育(特に芸術と科学の人材育成で顕著と思うのは、私自身コミットする頻度が高いからですが)では、いま野球で見たような意味での早期の人材育成は、ごくごく普通に行われていると思います。上の野球と全く同じスタイルで、いくつか展開してみましょう。