(文:境 治、コピーライター/クリエイティブディレクター/メディア戦略家)
前回からスタートしたこの連載。第1回では、テレビの指標である視聴率の功罪について書いた。その続きとして、視聴率の課題はどう乗り越えられるか、いま行われている試みを紹介しよう。
先日、ある若者と話していた時、「テレビは持ってません」と彼が言うので、「じゃあテレビは観てないんだね」と言ったら「いえ、でもテレビは好きです。テレビ観てますから」と言われて大いに困惑した。
「だってテレビ持ってないんでしょ?」と聞くと、「ええ、テレビ持ってませんけど、テレビ観てます。『アメトーーク!』とか大好きです」と差し出したのはスマートフォンだった。
もちろんYouTubeなどで『アメトーーク!』を欠かさず観ているという話なのだが、彼が「テレビ観てます」と言いながらスマートフォンを見せたのが面白かった。彼にとって、スマートフォンはテレビでもあるのだろう。
テレビという言葉は、もともといい加減に使われてきて、テレビ局のこともテレビ番組のこともテレビ受像機のことも、我々は“テレビ”と呼んできた。でもいま、テレビ番組がネットで観られる状況の中、何がテレビかわからなくなっている。