前回は、少し懐古趣味的な形でシルクロードの映像を手がかりに、ユーラシア・パワーとしての中国について記してみた。
「絹と十字架」の幻想的なタイトルもさることながら、『シルクロード』それ自体が今となっては(当然虚実折り混ざっているわけだが)20世紀の優れた歴史的ドキュメンタリーとなっている。
しかし、前回から3か月の間にも、グルジア(ジョージア)で中国の存在感の増加を感じさせる出来事が立て続けに起こった。
今回は独立以来ほぼ一貫して親西欧路線を取ってきたグルジアでも急激にその存在感を増しつつある中国について、もう少し現実の問題として、コーカサス・グルジアを例に取って考えてみたい。
かつては縁遠かった大国
私がかつてグルジアに留学中、聞いた小話(アネクドート)に、こんな話があった。
グルジア人が中国人に人口を聞かれて、400万だと答えると、「そんなに少ないのか! それならホテル2つ、3つで足りるなと笑われた」というのである。
むろん、中国の人口の巨大さと、それとは裏腹のグルジア人の人口の少なさをかけたいささか自虐的なブラックジョークである。
一般にグルジアで日本と中国のイメージには大きな開きがあるが、これはおそらく旧ソ連全体である程度共有されている認識ではないだろうか。
伝統を守りつつ、近代化に成功した日本を賞賛する意識がある一方、中国に対しては巨大で不気味な東方の大国としてのイメージが染みついている。
こうした両極端なイメージは、いわば日本も中国も縁遠いグルジアなどでは増幅されて伝えられ、グルジアを訪れる日本人は時にはこうした言説に助けられ、あるいは痛し痒しの思いもしてきたと思われる。ただし、今後はもう少し現実を直視する必要があるようだ。