「『住民との軋轢』って言うけど、あなたたちはどれだけその軋轢を見たことがあるんですか」
ある勉強会で、いわき市の住民の方が講演会の演者に対してされたコメントです。
「多くのいわき市民は避難された方々と上手くやっているんです。でも外の人はすぐ軋轢、軋轢って言う。もちろん人ですから争いはありますよ。でも私たちが心の狭い集団だと思われるのも心外です」
本来ニュースとは本来特殊な事例、極端な事例を扱うものです。しかしニュースが「一般論」として一人歩きした結果、無用な足の引っ張り合いを生んでしまいます。
「保守的な村」という誤解
「避難してから、周囲の『同調圧力』がつらいのよ」
津波で家を失い、70年来初めて転居を余儀なくされた女性がふと漏らされた言葉です。
「以前、となり組とだけ交流しているときには、みな多少違っても放っておき方が分かってた。知らない人ばかりが周りにいると、お互いに自分のやり方を譲れなくって、むしろ違う人が攻撃されやすいの。生まれ育った土地をなくしたストレスもあって、どうしても違うものを排除しようとしてしまうみたい」
排他的な集団をよく「XXX村」と表現したりしますが、実際に小さな社会で暮らしていくのであれば、自分に合わない意見を排除していては生活ができません。
「外から来た人なら言いたいことを言って出て行けばいいけど、中に住む人はそうはいかないでしょ」
長年地域のリーダーを勤める方がおっしゃったことですが、むしろ土地に根づいている、という安定感のある方は、互いの意見を戦わせない努力をされるのかもしれません。そうやって改めて眺めて見ると、確かに排他的な意見はむしろ外からきた方、外へ出て行った方に多く聞かれるように思います。