先日、内輪で地域の除染対策について勉強会を開いていた時の話です。
「市民の方々の不安にお答えして、できる限り広く除染を行っています」と説明するスタッフに、地元の医師から質問が飛びました。
「市民の皆様って言うけど、そこにお金をかけることを望んでいる人って、そんなにたくさんいるのかい? 私が診察する患者さんで、そこまで除染の心配をしている人を、見たことがないんだけど」
一方、いつも被曝検査の結果説明を行っている医師からは別の意見も出ました。
「被曝を心配して来る人たちの一部は、今でも水道水すら怖がっている。たぶん0.0000・・・.μSv/h(マイクロシーベルト)とかまで下がっても、そこにセシウムがある限り不安は消えないのではないか」
毎日地元の人々の話を聞いているスタッフの間でも、窓口によって「一般の声」と感じるものにこれだけの格差があるのか、と驚きました。
被災地の声を聞く。これは大切でありながら、非常に難しい問題です。
誰の、どんな声を、誰が聞くべきなのか。生活支援を行う行政の間で、この議論がなされずに様々な施策が行われていることに不安を感じます。誤った傾聴が害をなす前に、私たちは今一度立ち止まって話し合う必要があるのではないでしょうか。
誰の声を拾うのか
まずはなにをもって「一般の人々の意見」とするのか。これは非常に難しい問題です。人が耳にする訴えは、窓口の種類によって全く異なるからです。
例えば除染についていえば、市役所など行政の窓口では「もっと除染を」という声ばかり聞くと思います。なぜなら除染が足りない、と市役所に苦情を言う人はあっても、「除染し過ぎだ」という苦情はなかなか寄せられないからです。
しかし、中には除染はもういい、と言う方もいるのです。
古くから地元に住むOさんは、除染を断った方の1人です。
「庭の除染をやるって言われたので、断ったんですよ。丹精に手入れした庭の下草を全部刈られたりしたらたまらないって。でも、中には『お前の家が除染しないことで隣近所に迷惑がかかっているんだ』って脅された例もあるそうです」