先日、不思議な体験をしました。能登半島のワカメをお土産に頂いたのです。地元でも少ししか取れない良い品と伺って、喜んで帰宅して自分で料理してみました。
乾燥したワカメを水で戻します。ほんの少しでもビックリするほど増えました。
「どれ、味見を」と一口食べてみたのですが、ただごとでなくおいしいのです。食欲の赴くままに、あれよという間に、鍋に半分ほどあったワカメの大半をつまみ食いしてしまいました。
で、そこから先が問題なのです。
ワカメをつまみ食いしただけなのに・・・完全に食欲が満たされてしまったんですね。
それ以上も以下もいらない。満腹で苦しい、というようなことではなく「ご馳走さまでした」という意識になってしまった。
こんな経験は、初めてではないにしろ、非常に久しぶりな気がして、大変不思議に思いました。どうやら、私の体にとってとても必要な何かがワカメの中に含まれていたらしく「十分食べたのでご馳走さま」と体の芯からメッセージを貰ったような気がしました。
一升飯と小魚
もう35年くらい前でしょうか、高校時代に食生態学者・西丸震哉さんの本で、こんな話を読んだ記憶があります。
「・・・その昔、農村などでは一升飯を食う若者が決して少なくなかった。味噌汁などをおかずに、ともかく黙々とご飯だけを食べて一升平らげてしまう・・・」
一升と言えばお米10合です。最近の私はお米1合も食べればお腹一杯になってしまいますが10合食べても平気というのだから、大変なものです。さて、西丸さんによると、
「ところが、この一升飯食らいの若者に、小魚一匹でもいい、おかずを一緒に出すと、とたんにご飯が食べられなくなってしまう」
というのだから不思議なものです。いったいどういうことなのか?