このコラムの読者の皆さんはよくご存知と思いますが、2011年の地震・原発事故以降スタートした東京大学文学部・東日本大震災復興支援哲学会議は震災3年目にあたる2014年から隔月で公開行事「哲学熟議」を開いています。
次回は第八回「声のメディオロジー」を、作曲家の湯浅譲二さんはじめゲストをお招きし、演奏シリーズ「哲楽遊戯」との共催で行います。電子メールアドレスgakugeifu@yahoo.co.jpへの事前予約でどなたでもご参加いただけますので、どうかふるってお申し込みいただければと思います。
「哲学熟議」では様々な問題を扱いますので「東日本大震災復興支援」という本筋から外れるのではないか、というご指摘をいただくことがあるのですが、実はこれには背景と経緯があります。
地震と原発事故の直後から、大学の中では様々な動きがあり、現地に役立つ仕事を、という観点とともに、本質的に腰をすえてものを考える視座を持たねば、という意識から有志教員の昼食勉強会を文学部哲学科で開くことになったのです。
「哲学ランチ」と名づけて2年ほど続けた取り組みがあったので、隔月というかなりの頻度でも内容の詰まった「哲学熟議」を展開できているわけです。一ノ瀬正樹・哲学科教授のご指導のもと、多くの学部から多彩な先生方のご協力を得て、あえて時事の問題も取り上げて論じる場を持ち続けています。
早野先生、ゲラー先生など理学部の教授陣と文学部の先生方を、理学部で学び音楽の研究室を主催する私が事務局となって文理を架橋する今日求められる「哲学」再展望という大きなビジョンをもって3.11以降を考え始めたわけです。
果たして昨年はSTAP細胞問題など、文理の叡智を結集して考えるべき倫理の課題も登場しました。必然的にこれらとも向き合いましたが、十分に深い背景をもって取り組むことができました。 年度が改まる前後からかまびすしい研究倫理教育にも、確固とした考え方を打ち出すようにしています。
最大のポイントは「文(学部)」と「理(学部)」を越境した自然哲学という観点の再確認、再認識にあります。あえて乱暴に言えば、カント以降「コペルニクス的転回」によって哲学は人間に焦点を当てるようになりました。
ではそれ以前の哲学は何に向き合っていたのか?
古代末期から中世、近世初期までの西欧哲学は、キリスト教と不可分の関係にありました。しかし、その大元はソクラテス、プラトンを経てアリストテレスによって大成された(とされる)哲学思潮にあり、さらにその源流にはイオニア自然学と呼ばれる天文や博物のサイエンス、ミューズの女神たちが司るとされる諸科学(Musica)が存在しています。
1999年に大学で教えるようになり、研究室を開いてから私が一貫して進めてきた科学や医学、技術の先端を尽くして芸術を根底から問い直し、新たな表現を開拓する取り組みはまさにここに根があります。
今回の哲学熟議+哲楽遊戯は、ラボを開いて16年目、初めて本来の出発点に立つことができた、というべきものになっているわけです。
その要点を「芸術条理」というキーワードでお話してみましょう。