石の上にも3年という言葉がありますが、10年と言えば一昔、3年と10年をかけて30年と言えば新卒で入った青年が企業の上層部に達している時間、もっと言えば社会的な人生の一塊と言っていいかもしれません。
今回は前回と打って変わって見えるかもしれませんが、そんな30年一昔といった話題から入りたいと思います。
6月2日、今年度としては初回ですが、恒例となった東日本大震災復興支援哲学会議「哲学熟議8+哲楽遊戯2」を行います。
今回は「声のメディオロジー」のタイトルのもと、作曲家の湯浅譲二、哲学の一ノ瀬正樹、そしてトロンボーンの河端伸幸、ピアノの小ノ澤幸穂の皆さんと「演奏し、哲学する」ジョイントの試みです。
いま、あえて「試み」と書きましたが、実はこれに近いスタイルが、ここ30年来の私の一番の「素の形」で、その地を出さずに30年ほどやってきたのですが、そろそろ終わりも見えてきたので、素のままでやらせてもらおうとおもっています。
少し前「ツンク♂」の喉のニュースが報じられましたが、病気で声帯を失う可能性のある人が事前に自分の声を録音しておくことで、それを用いて話すことができる技術開発が進んでいます。価値のある取り組みだと思います。
しかし同時に、そうした人工音声は高度化して、音声認証による電子錠システムが見破ることができないレベルまで合成音声研究が進んでいることも報じられています。いずれも2015年になってからの伸展で、非常にホットな話題です。
ほどなく、リアルタイム・ヴォコーダーを通せば、「私」が元来喋っているのに、スマートホンの向こうでは「あなた」や「彼女」「彼」あるいは「総理」の声で喋っているのと見分けがつかない時代がやって来るでしょう。
こうした問題については、落ち着いた論考を思想誌などにも記すようにしていますが、2つの展開があると思うのです。