前回は「自分の声も相手の声と同じように聞きとる聴能力」についてお話しましたが。今回は、ちょっと特殊なケース、子供相手ですが「相手から必要な話を聞く聴能力」を考えてみたいと思います。
単に受身で聞き取るというのではなく、話を引き出すにはどうしたらいいか?
誰でも考えるのは「押してもだめなら引いてみな!」式の逆転の発想でしょう。
心を閉じた子供たち
私事に及んで恐縮ですが、12年前に亡くなった私の母は、長年ミッションスクールで英語の教師をしていました。
こう書くと教科だけ教えていればいいように聞こえますが、実は母が奉職していた学校は全寮制で、学校の中に牧場や木工所があったりする広大な敷地がありました。
ほとんど修道院と呼んでいいもので、第2次世界大戦直後は浮浪児を収容して養育するといった役割を果たしていたところでした。
やがて高度成長期になると浮浪児はいなくなりましたが、私自身も属する東京オリンピック(前回=1964年)あたりの世代では「コインロッカーベイビー」など、親が養育を放棄した子供を育てる局面が増えました。
さらに1980年代以降になると、親がキッチン・ドランカーや薬物中毒なり、病院や矯正施設に身柄を拘束されるなど、親が養育不可能となってしまった子供の割合が増えていったようです。
母がこの学校=施設に勤めたのは1972年から88年にかけてのことで、これは72年1月に父が死に、86年に母が定年となって嘱託勤務が1年延びたから、という偶然でしかありませんが、今振り返ってみると「冷戦後期」という時代にぴったりとはまっていることに気がつきます。
1972年当時、高学年(高等工業専門学校が併設されているので20歳まで在籍できる)の子供の中には「戦後世代」がまだ混ざっていました。