春の訪れを感じる3月は、平成の今を生きる日本人にとって、破壊の記憶が呼び覚まされる時でもある。70年前の東京大空襲、20年前の地下鉄サリン事件、4年前の東日本大震災。戦争が、テロが、大自然が、我々を、祖先を、逃げられぬ恐怖の淵へと追いこんだ。
ドイツによる破壊を免れた芸術の都
現在劇場公開中の『パリよ、永遠に』(2014)は、冒頭、フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第7番をバックに、焦土と化したワルシャワを映し出す。
監督は、『ブリキの太鼓』(1979)で、戦間期から第2次世界大戦へと向かうポーランド、グダニスクで、大人の世界に幻滅し、自ら成長することをやめた子供を描いたドイツ生まれのフォルカー・シュレンドルフ。
今回は、自身、映画監督への道を歩み始めた地、「芸術の都」パリが、第2次世界大戦末期、ドイツによる破壊を免れるまでの物語である。
とは言っても、いわゆるドンパチの「戦争映画」というわけではない。
パリで生まれ育った中立国スウェーデン総領事ラウル・ノルドリンクとパリ破壊を命じられたドイツ軍司令官ディートリヒ・フォン・コルティッツが繰り広げる「心理戦」を描いた大ヒット舞台「diplomatie」(「外交」の意。映画の原題も同じ)の映画化である。
そして、パリの街の価値を認めるドイツ人将校の理性が、街と市民を救うのである。そこに至るまでの戦況については、半世紀前のオールスターキャスト戦争映画『パリは燃えているか』(1966)に詳しい。