最大の悔悟をもってオウム実行犯が語る精神の闇に通じるものを、たかだか半径1キロの川崎の現場を歩きながら改めて考えざるを得ませんでした。

・・・・と、普段ならここまでで終わるところですが、今回はもう数行書き足しておきましょう。

 上の余情の中で、私は読者の皆さんにも何かものを考えたり感じたりしていただきたいのです。

 私たち音楽の人間は、演奏した後、「良かった」と拍手をいただくだけよりも「今の演奏は言葉で割り切れない何かがある。何を伝えようとしているのだろう?」と残るものを持ち帰っていただきたいと思うことがあります。

 大学で学生を教えるときもそうです。「ああそうですか」と思考停止して教室を後にするのではなく、終わることのない思考の始まりをもって家路についてほしい。これは常にそう思っています。

 今週水曜の「哲学熟議」や来週月曜の「哲楽遊戯」もまさにそうした考え方で準備しています。

 そんな考えで私が記す、こうした「論旨」は「分かりにくい」でしょうか?

 読んでおしまい、ではなく、私たち自身の生活の身の回りで、社会人として、あるいは親として、責任ある立場の者として、考えなければならない示唆が非常に多いと思うので、報道記事ではないこのコラムで毎回、「読んで分かったつもりでおしまい」式の結びは記さないのです。

 皆さんご自身の生活と無縁と思われるなら、実は一番リスクの高いところにいるのかもしれません。目の前の子供の「ライン」を皆さんは把握しているでしょうか?