各党の選挙公約によると、質・量にはばらつきがあるものの、「原発依存を減らす」あるいは「原発ゼロを目指す」といった、少なくとも原発に依存する体質から脱却しようという政策を全ての政党が謳っているようである。福島第一原発事故による放射能汚染で誰の目にも明らかになった「原発の安全性に対する重大な不信感」を受けての当然の傾向と言えよう。
原発とオスプレイの安全性に関する議論の違い
「原発の安全性」に対する議論は、同じ安全性に関する議論とはいえ、本コラムで幾度か取り上げた「オスプレイの安全性」に関する議論とは性格が違う。
「オスプレイの安全性」に関しては、沖縄の米軍基地反対派や日米同盟反対派陣営が開発段階での事故を強調し、実戦に投入されて以降の完成機に対してもことさら危険性を指摘して喧伝した。それを取り上げた多くのメディアが「オスプレイ恐怖症」をつくり出した。
それに対して日本政府も「オスプレイは決して危険な航空機ではない」といった防御戦術に出たため、オスプレイの議論は「オスプレイ恐怖症」を叩き台にした「安全性」の議論に主眼が置かれてしまった。そして、本来議論されてしかるべき「オスプレイの必要性」、すなわち日本の国防にとってオスプレイはなぜ必要なのか? に関する議論は隅に追いやられてしまった。
オスプレイの議論とは違い、原発依存の低減あるいは原発ゼロといった議論においては、「原発は当面は必要だが、安全性に深刻な疑義があるため、他のエネルギーへ脱却しなければならない」といった論調が主流をなしている。なかには、「福島第一原発事故以降長きにわたって日本の原発が全て停止しているにもかかわらず、国民や企業の節電努力によって電力危機には立ち至っていない。ということは『原発ゼロ』でも問題はない」という具合に、「必要性」の面からも原発から即時脱却すべきであると主張する陣営もある。