相双地区では、9月に劇的な変化が起こりました。それは国道6号線の再開通です。
東京への直通ルートの再開が相双地区に与えた変化は目覚ましく、開通の翌週からすでに上り方面への渋滞が始まりました。粉じん測定をした研究者の話では、朝10時~11時の1時間で180台以上の大型トラックが通過したそうです。
浪江町の近辺には早くも飲食店が増え始め、少しずつ新しい住宅も建てられています。「鎖国」の解かれた相双地区に物流が復活したこと示す、活気のある風景です。
しかし一方で、モノとカネの流れが急激に増えたことで、この3年間に相双地区にあった人の復興、というイメージが見失われてしまうのでは、という不安もあります。
東京から見た経済による復興、つまりモノとカネが入ってくれば地域が復興する、という概念は、この相双地区では必ずしも当てはまらない気がするからです。6号線をたどり、東京と、ここ、相双との風景を比較することで、そのギャップが見えてきます。
電力を辿る旅
南相馬市から福島第一原子力発電所のすぐ横を通過して6号線を上り、常磐道で東京に至るまでの4時間余りのドライブはそのまま震災前の電力の流れを辿る道です。
消費電力の勾配は、そのまま風景に現れます。看板と田畑の占める農村風景が、徐々に街灯の多い住宅地へ。高速道路に乗ってそのまま進むと、ネオンサインと高層ビルの林立する巨大都市辿り着きます。
改めてその勾配を眺めてみると、まず驚かされるのは都会の消費活動の激しさです。都会の代名詞である電飾と騒音は、それ自体が消費活動であるだけでなく、人々を消費させるためのコマーシャル活動として存在しています。
マッチポンプの消費活動が生活と一体化している都会では、人々が便利なものに慣れている、という次元ではなく、まるで呼吸をするように電力を、物資を消費しているのです。
都会から見る復興
このような風土で育った都会の人間が復興に関わろうとすると、どうしても消費を主体に考えがちです。つまり、ヒト・モノ・カネが地域に流入するシステムを作る活動がどうしても目標になってきます。
もちろん企業の誘致や新しい産業を作ることで町が潤うことは重要です。しかし儲かるところに着実に集まるのは、むしろ外部からの人々、という印象を受けます。その結果、地元の人々と温度差ができ、町の復興と人の復興に解離が出てくるケースも少なくありません。