先日、東京の友人が訪ねてきました。福島駅から霊山を越え相馬市に入った時、町の風景を見て彼女がつぶやきました。
「こんなに普通に人が住んでいると思わなかった」
この友人は、相馬に遊びに行く、と言ったところ、東京の知人に、
「え?あそこまだ人が住んでるの?」
と言われたとのことです。
ごく普通に起きて、寝て、仕事をして、学校に行っている人々がいる。おそらく今の相双地区で一番世間に知られていないのは、その現状なのかもしれません。
「マスコミは自分の欲しい画だけ撮りに来る」
「期待通りに不幸そうにしてないと、つまんなそうな顔して帰って行くね」
世の中に等身大の相双を知ってもらえていないことに対する、あきらめや焦りの言葉もよく聞きます。
「不幸な画」にならない被災地
確かに私の目から見ても、今の相双地区、特に相馬市を「被災地」として報道することは難しいだろうな、と思います。その理由の1つは、苦難が「画」にならないことです。
例えば震災直後、ある高台の旅館には津波から逃れた人々が多数避難していらっしゃいました。停電で冷凍庫・冷蔵庫が機能しないため、女将さんは冷凍庫の中身をその場ですべて避難者に振る舞ったそうです。
自衛隊が乾パンや非常食を持って駆けつけた時、人々がカニ鍋をつついていた・・・このような光景は、被災地として期待される画ではなかったことでしょう。
それほどの極端な例でなくとも、似たような状況はあちこちに見られます。表面だけ見れば、相双地区の人々は明らかに東京よりも美味しい物を食べているし、空気の良い所でゆったりと暮らしているからです。