これまで2回にわたって、外国人女性支援組織「KAFIN」の道のりを追いながら、フィリピン人を中心とする外国人女性の直面する困難とそこから逃げ出すことの難しさについて考察した(第1回、第2回)。
一方、外国人女性とはいったいどんな存在なのだろうか。彼女たちは常に「弱者」や「被害者」なのか。あるいは、海外に出稼ぎに出て故郷の家族を助ける「したたかで強い女性」なのだろうか。最終回となる本稿では、外国人女性の揺れ動く地位について考えたい。
弱い? 強い? 「からゆきさん」と「ジャパゆきさん」
興行資格などによって来日し、エンターテイナー、ホステスとして就労してきたフィリピンやタイなどを含むアジア人女性は、「ジャパゆきさん」と呼ばれた。「ジャパンに行き」就労するからだ。
その「ジャパゆきさん」は、「からゆきさん」という存在ゆえの呼び方だ。
作家・山崎朋子さんによる『サンダカン八番娼館 - 底辺女性史序章』(筑摩書房、1972年)には海外に出て、現地で娼婦となる女性が描かれる。
こうした女性たちは主に農村や漁村の貧しい家庭に生まれ、だまされて売られるなどし海外に出ていった人たちで、からゆき(唐行き)さんと呼ばれていた。19世紀後半、からゆきさんは国境を越え、東アジアや東南アジアの国々にわたり、現地の娼館で働いた。
『サンダカン八番娼館』には、山崎さんが元からゆきさんの家を訪問し、一緒に時間を過ごす場面が描写される。お世辞にもきれいとは言えない傾きかけた家に暮らす元からゆきさんは、やってきた山崎さんを歓迎し、そのうちに自分の話をしてくれた。
自ら話をする機会をこれまで持つことのできなかった女性の語りの中から、日本の近代における物言うことが制限されてきた女性がどんな人生を歩いて、なにを感じてきたのかが浮かび上がる。
これに対し、ジャパゆきさんは、戦中・戦後の困窮を経て、復興を迎え、その後に高度経済成長を経て、“先進国”となった日本へ、アジア諸国からやって来た女性たちだ。
社会学者の故・梶田孝道さんは、『外国人労働者と日本』(日本放送出版協会、 1994年)の中で、1970年代以降アジアの発展途上国において観光開発が進む中で、「買春観光」が拡大するなどし、「『風俗産業』の国際化がさらに進むと、むしろエンターテイナー、ホステスとして働くアジア人女性を『商品』として日本に『輸入』するという新しい段階へと移る。八〇年代前半に始まった『ジャパゆきさん』現象も、このような文脈のなかで生じた」(P146)と説明する。