マット安川 終戦記念日、ゲストに往時を知る藤木幸夫さんを迎え、「なぜ戦争が起きたか」「戦争中に何があったか」を知る大切さをお話しいただきました。

8月15日だけでなく、日々戦争を語ろう

「マット安川のずばり勝負」ゲスト:藤木幸夫/前田せいめい撮影藤木 幸夫(ふじき・ゆきお)氏
横浜港運協会会長、藤木企業株式会社 代表取締役会長。 実業家として港湾産業の近代化に取り組み、また長く日本の港湾行政に携わる。(撮影:前田せいめい、以下同)

藤木 終戦の日、天皇陛下が戦争をやめるぞと、万世のために太平を開くんだとおっしゃったとき、私は中学3年生でした。

 中学1年からずっと軍需工場で働きづめでしたけど、それでもちっともいやじゃなかった。食べたいものは食べられないし、風呂なんか10日にいっぺん入れればよかったぐらい。ところがちっとも苦しくなかったんです。それは戦争に勝つんだという目標があったから。

 その戦争がいいとか悪いとか、だれがやったとか、そういうことは関係ないんです。日本国民の一人として戦争に入りきってしまって、しかしそれをやめろと言われた。たった一つの目標を失って、15歳の少年だった私はとにかくびっくりしました。これはなんだ、どういうことだと・・・。

 でもすぐに、戦争がないのはすごくいいことだと思ったのも覚えています。まず、それまでは毎晩のことだった空襲がない。だから朝まで寝られちゃう。軍事機密だった天気予報がラジオから流れてくるようになったりもしましたし。

 何より変わったのは、昨日まで私たちにビンタを食らわせてた先生たちが俄然優しくなったことです。先生と生徒というより友達みたいな関係になった。これには面食らいましたね。

 日本人は8月15日にだけ終戦を語りますが、この癖はやめた方がいい。一年を通して話さなきゃいけません。日本民族のためにそうすべきだと、私は本当に思います。

占領下の7年を知ることで今の日本が見えてくる

 今の日本人はアメリカの占領下にあった7年間のことを勉強すべきだと思います。当時の日本は完璧にアメリカの一州でした。この時期に今の日本につながるいろいろなことが決まったことを、まずは再認識しないといけません。

 終戦後、アメリカは400の法律を日本にぶつけてきました。それらは今の日本の法律の根っこになっています。中でも真っ先に発表したのが日本国憲法で、その第1の柱は天皇陛下を残すということ、第2はイギリスと同じ民主主義国になること、第3は戦争を放棄することでした。