バンクーバー新報 2014年5月15日第20号
第1回『初期の日本人移民:19世紀後半~20世紀初頭』
今年開館125周年を迎えた在バンクーバー日本国総領事館ではこれを記念して、総領事館と日系コミュニティの歴史を講演者や過去の外交資料、その時代を生きた人びとの記憶を通して振り返る6回のフォーラムを1年にわたり開催する。
3月28日にバンクーバー日本語学校及び日系人会館で行われた第1回目は岡田誠司総領事、歴史研究家のアン・リー&ゴードン・スイツァー夫妻をゲストスピーカーとして迎え、約50人の参加者が初期の日本人移民に関する内容に聞き入った。
岡田誠司総領事の講演
1889年、カナダにおける日本の最初の在外公館として開設した在バンクーバー領事館について、岡田誠司総領事が当時の外交文書の検証をもとに講演した。
領事館開設までの記録
カナダに領事館を開設するための外務省での公文書を見ると、最初の文書ではビクトリア市がまず候補にあがっていたことがわかる。しかし、決裁の過程でそれがバンクーバーに変更されている。
1880年、帝国海軍の練習船『つくば』が練習生、乗員、通訳など338人を乗せてバンクーバー島のエスクイモルト港に公式寄港した記録があるようにビクトリアはBC州の州都であり、領事館開設にあたり最初は州都であるビクトリアがその候補地であった。
しかし1885年に大陸横断鉄道がバンクーバーまでのびたこと、また当時アメリカ領事館がビクトリアからバンクーバーに移転したこと等を理由にバンクーバーに開設することが最終決定された。その後のバンクーバーのアジアのゲートウエーとしての発展ぶりを見ると、正しい判断であったと言える。
明治天皇の任命を受けて1889年(明治22年)、杉村濬(ふかし)がバンクーバー初代領事として着任。当時の外務大臣大隈重信による委任状がある。
在バンクーバー領事館(当時)はカナダで初の在外公館として、バンクーバー市内609ハウ(Howe)ストリートに開館した。同じ通りの並びにアメリカの領事館もあった。
移民事業に務めた初代領事
杉村領事が着任したときの最大の懸案事項は何であったか。当時の外交文書を見ると人頭税問題である。当時、中国人がカナダに移民するにあたり、ひとり50ドルの人頭税が課せられていたが、日本人には人頭税は課せられていなかった。
1891年に日本人移民にも200ドルの人頭税課税という話が持ち上がった。杉村領事は外務省にこの問題点を報告し、メディアを利用した移民施策を立てた。新聞にこのような議論がバンクーバーであることを伝え、日本人の移民の質を高めることを提案した。