2014年3月23日午前、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は、欧州訪問に向けて出発した。日韓メディアは、オランダのハーグで開く核安全保障サミットでの日米韓首脳会談に対する関心ばかりが目立つ。だが、それ以上に大統領が強い思いを込めているのが、25日からのドイツ国賓訪問だ。
50年前、父親である朴正熙(パク・チョンヒ)大統領(当時、以下同じ)のドイツ訪問こそが、その後の高度経済成長の契機を作ったからだ。
欧州訪問出発の日、ソウル空港には、政府与党関係者や、訪問国の大使など多数が見送りに現れた。朴槿恵大統領は、一人ひとり握手を交わした後、タラップを上った。待機していたのは大統領専用機(ボーイング747-400)だった。
朴正熙大統領の西独訪問の意義
50年前の1964年12月。朴正熙大統領は、初めての欧州訪問のため、西独に向かった。
このときの有名な3枚の写真がある。
1枚目は、当時の西独の首都・ボンでの空港歓迎行事。朴正熙大統領が搭乗してきた機体には「ルフトハンザ」とある。
当時の韓国の1人当たり国内総生産(GDP)は80ドル前後。世界でも最も貧しい国だった。大統領が外遊するための「足」の確保もおぼつかなかった。西独政府はこうした事情に配慮して、すでに就航していた東京路線のルフトハンザ機をソウルに「お迎え」のために飛ばした。
朴正熙大統領と夫人、最低限の随行員は、一般旅客に交じってルフトハンザ機に搭乗した。西独はあまりにも遠かった。ソウル→香港→バンコク→ニューデリー→カラチ→ローマ→フランクフルトを経由。そのたびに一般旅客を乗り降りさせてやっとボンに到着した。28時間かかったという記録がある。
軽い足取りで専用機に乗った今の大統領とは、大きな違いだ。
2枚目の写真は、朴正熙大統領の隣に座る夫人が、涙をハンカチでぬぐっている姿だ。
大統領の西独訪問の1年前、韓国から炭鉱労働者が西独に派遣された。最貧国だった韓国には食べていくための職がない。最初の500人の募集に4万6000人が応募したという。
韓国人労働者は、ルール炭鉱で、最も危険な作業に従事しながら、ほとんどの賃金を祖国に送ったという。写真は、ルール炭鉱で労働者を激励したときに撮影された。
3枚目は、ベルリンの壁から東独側を鋭い目付きで視察する大統領だ。「ベルリンの壁を通して北朝鮮が見えた」。朴正熙大統領は、東西分断、南北分断という当時の2つの厳しい現実を念頭に、こう感想を漏らした。