東日本大震災救援支援のための「トモダチ作戦」に大規模なアメリカ軍が投入されたのは記憶に新しい。

 そのトモダチ作戦を契機として、とりわけアメリカ海兵隊は陸上自衛隊との協力関係構築に本格的に動き出し、それに伴って、日本自身にアメリカ海兵隊的能力(あるいはそのうちの少なくとも水陸両用能力)を構築させるような働きかけも目立つようになった。

 そして、悲惨な災害から3年を迎えるにあたって、ようやく自衛隊は“自前”の水陸両用能力の構築へと具体的な歩みを進めている。

被災後3年で本格的にスタートした水陸両用能力構築

 イラクやアフガニスタンの戦場での悲惨さとは桁違いに大規模な東日本大震災の惨状を目のあたりにしたアメリカ海兵隊幹部たちが、「もし、日本に小規模でもいいからアメリカ海兵隊的な軍事能力を持った組織が存在していたならば、少なくとも数千名の人々の命を救うことができたに違いない」と悔しがっていた。

 そのアメリカ海兵隊のうち、日本防衛の先鋒を担当する在沖縄第31海兵遠征隊(31-MEU)は、発災当日は折あしく人道支援活動のため東南アジアへ出動中であった。そのため、震災直後の被災地域へは、沖縄の司令部や留守部隊が緊急出動し、初動救援活動では在日空軍や第7艦隊が中心的役割を果たした。

 ただし、東南アジアから取って返した31-MEU救援部隊が被災地域に到着すると、自衛隊には備わっていなかった水陸両用能力を遺憾なく発揮して、孤立していた気仙沼大島支援をはじめとしてトモダチ作戦の主役に踊り出た(拙著『写真で見るトモダチ作戦』並木書房、参照)。