11月16日は聖アンデレ教会での東京アートオペラ「トリスタンとイゾルデ」初日は満場のお運びとなりました。心からお礼を申し上げます。舞台は演者と観者の双方で作るもの、熱い舞台になりました。本当にありがとうございます。引き続きどうぞよろしくお願いします。
月末の11月30日と明けて12月1日、慶応義塾大学北館ホールにて「オペラ全曲演奏・シンポジア」という形であと2回、上演をいたします。先日「場当たり」(下見を兼ねた練習)を三田でしてきましたが、相当ご期待頂いて大丈夫と思います。
アンデレ教会では行わなかった、幕間ならびに終演後のシンポジウム、この連載でご紹介していますバイロイト祝祭劇場との取り組み、静止画写真でご紹介してきたもの、マイケル・オースティンやハイケ・レーラー、次回にご紹介予定の百々あずささん、またホルンの市川克明さんなどとのコラボレーションすべて音声動画でご紹介しつつの、科研プロジェクトの社会還元事業でもあります。
どうぞご期待いただければと存じます。まだ残席あるとのことですので、お誘い合わせでお運びいただければ幸いです。
今回は、なぜ200とか300といった小さな客席数の会場で、こうした試みを展開するか、その背景を「お能」とのかかわりでお話しさせて頂ければと思います。
誰が能舞台に蛍光灯を入れたか?
突然話が飛ぶようですが、私は明治以降の能舞台建築というものを、相当けしからぬもの、我慢のならない建造物と思って見ています。
どういうことか?
読者の皆さんの中には能舞台での能公演をご存じない方もおられると思います。大半の(室内にある)能楽堂では、ちょうど相撲の土俵の上についているような「屋根」が建物の中にあり、そこに舞台がしつらえられています。
舞台に向かって左側には、細長い廊下のようなものが取りつけられていて、その端は幕で開閉ができるような仕掛け、その奥が「鏡の間」と呼ばれる空間、廊下のようなものは「橋掛かり」と呼ばれ、能舞台全体は川の上にかかる「橋」の意味づけを持っています。
実際には川の水は流れておらず、白砂による「お白洲」が「生死の川」を表し、その上にかかる能舞台という橋は「此岸」つまり現世と「彼岸」つまり死んだものの世界とが交感する、いわば「トワイライトゾーン」という位置づけになっています。