「昆布ロード」は宝の山の通り道だった

日本の味は昆布だしとともに(前篇)

2013.11.22(Fri)漆原 次郎

 初代が播いた種が実を結んだ出来事があった。2代目・奥井辰之助が主人となった明治時代中頃、同じ福井県内にある曹洞宗の大本山・永平寺に昆布を納める御用達の許可を得たのだ。この役割を「御昆布司(おこぶし)」という。昆布に切れ目を入れ菊の大輪の形にあしらった「菊花昆布」や、蛇腹のような形に細工した「あじろ昆布」などを納めてきた。

 3代目・奥井重雄の代には同じく曹洞宗大本山の総持寺(神奈川県)御用達にもなった。

 いまも、この2つの寺での食膳に奥井海生堂の昆布が出されている。また、北大路魯山人(1883~1959)のつくった「美食倶楽部」など数々の料亭とも取引を広めていった。

奥井隆氏。株式会社奥井海生堂の4代目主人、代表取締役社長。1948年生まれ。立教大学経済学部卒業後、奥井海生堂に入社。1995年より現職。NPO法人日本料理アカデミー会員、社団法人日本昆布協会会員、敦賀商工会議所副会頭。著書に『昆布と日本人』(日経プレミアシリーズ)がある。

 老舗の伝統を受け継ぐのが4代目となる奥井海生堂現社長の奥井隆氏だ。奥井氏は「伝統というものは守るものではありません」と話す。

 「伝統というものは革新の連続の結果として築かれるものです。振り返ってみたら、そこに長い歴史が続いていたというだけだと考えています。ですので、昆布を大切にすることは保ちながら、常に商売を革新していかなければ残っていけない。そう思っています」

 実際、4代目の奥井氏は、百貨店の食品展に出店したり、核家族時代の商売として昆布を小さく切って販売したりと、新たな商法に乗り出していった。「時代は変わっていくもの。その変化に適応していくことは大切なことだと思っています」

 商売上の革新を積み重ねる中で、奥井氏はしばらく途絶えていた、昆布の味に関わる“ある技法”を復活させることも決意した。かつて奥井海生堂をはじめ、敦賀の多くの昆布問屋が行っていた昆布の加工法である。

 「“蔵囲い”による昆布は、今年ので“25年もの”になります」

 (後篇へつづく)

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