パナソニックがプラズマテレビからの撤退を決めた。これで国内の生産メーカーはなくなることになる。液晶に比べ速い動きに強いことから大画面向きとされ、登場当初から映画ファンには人気だった。
かく言う私も愛用者の1人なのだが、液晶が長足の技術進歩で弱点を克服、安価ともなったことから、駆逐されてしまったのである。
4Kで再出発、でもいつか来た道?
2014年7月からの4K試験放送を控え、不振が続くディスプレイ分野を有機ELや液晶で再起動、というわけだ。
しかし、多くのAV(オーディオビジュアル。アダルトビデオではない)ファンは、デジャヴ(既視感)にとらわれたのではないだろうか。
そんなパナソニック(当時松下電器産業)がVHS方式のホームビデオを初めて発売したのが1977年6月。
日本ではFM放送のステレオ化が進み、米国では『スター・ウォーズ』(1977)が公開、迫力あるサウンドに世の関心が向かっていた頃のことである。
そして、ソニーを筆頭としたβ陣営との壮絶なる開発競争が始まり、消費者は、技術革新の恩恵を享受する一方で、画質とテープコストのバランスのなかVHSとβの間を揺れ動き、そのめまぐるしい商品の変遷に振り回されていくことになるのである。
ノーマル音声多重、Hi-Fi、ハイクオリティ、ハイバンド、EDベータ、S-VHSとグレードアップするたびにどちらにするか迷いながら購入。たまり続けるテープの保管に困れば小型の8mmビデオにも食指を動かされた。
ハイビジョン試験放送とともにW-VHS、さらにはD-VHSというフォーマットも用意され、ビデオカメラ用には小型のVHS-CやDV。ソフトではVHD陣営に大勝したLD(レーザーディスク)が、DVD登場まで高画質高音質の定番となった。
そんなさなか、1989年に製作された『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』には、2015年、ゴミとなって積み上げられるLDという「予言」描写がある。しかし、現実はそれより早く、LDの命運を握っていたパイオニアは機器生産から撤退してしまった。